僕は空が好きだ。
季節が、太陽が、雲が、空の色を変え、ひとつとして同じ表情がないからだ。
最高に嬉しいことがあったとき、泣きそうなほど悲しいことがあったとき、
いつも、空を眺めては「この瞬間を忘れないように」と思い、
そのときの気持ちを、空の色ごと記憶に写し撮ろうとする。
いちばん心に残っているのは、学生の頃に見た、曇り空だ。
その日の昼は講義に出ず、学校の近所をあてもなくぶらついていた。
湿った風が強い日で、ぐんぐんと流れていく雲を見ていると、
身体の平衡感覚が失われ、その場に倒れそうになった。
公園のベンチに腰を降ろすと、ちょうど小雨が降り出した。
ひんやりと肌寒く、あたりに人はいなかった。木々が大きく揺れてざわつき、
まるで、ポツンと座っている自分のことを噂しているように聞こえた。
僕はビニール傘を差して、そのまましばらく空を眺め続けた。
「あの灰色の雲はどこまで流れていくのだろうか。
どこまで流れれば、雲は途切れて、青空がのぞくのだろう」
いまだに、風の強い日、曇り空を見ると、ときどき思い出す。
当時の僕は、自分が救われたいと願うばかりで、
少しも人の気持ちを考えることをしなかった。
自分が傷つかないために、平気で人を傷つけていた。
日に日に変わりゆく状況に気づかずにいた僕は、
結局、最後まで自分を変えることができなかった。
あれから、僕も少しは大人になっただろうか。
空の景色が移り変わるように、人の気持ちも移りゆくのに、
記憶の中に写し撮られた僕の曇り空は、
なかなかその色を変えることができなかった。
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僕は今、部屋で椅子にもたれている。
もう、だいぶ自分を俯瞰して見ることができるようになったし、
曇り空を見ても、以前ほど心を悩ませることはなくなった。
思い出の形は曖昧で、遠くから手にとろうとするが、
いつも、全てをすくい上げることができない。
何度も手を伸ばすたびに、指の隙間からこぼれ落ち、
落ちて混じり合った破片が、今の自分を作っている。
目を閉じると、浮かんでは消えていく空の情景の一つひとつが、
今はとても懐かしく思える。
ふと、窓の外を見た。
高い、高い、秋の空だった。
ポストの閉まる音が聞こえ、ペンギンズから2通目の手紙が届いた。
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いま、高原にいます。
おだやかな空に浮かんだ色んな雲が、
地面に大きな影をつくっています。
とてもおいしそうだったので、
雲にさわろうと背伸びをしたら、
トンボが指先にとまりました。
羽から透けて見える青色に、
しばらく見とれてしまいました。
お元気ですか?
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≪ つづく ≫


